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世界最大のオプション市場はインドにあった──デリバティブ取引で個人の91%が損をする国と、最も稼ぐ取引所NSEのジレンマ

2026.07.17 ・ 執筆:フクリ
世界最大のオプション市場はインドにあった──デリバティブ取引で個人の91%が損をする国と、最も稼ぐ取引所NSEのジレンマ

📌 この記事は公開情報(Net Interest・SEBI(インド証券取引委員会)の調査・各種報道など)をもとにした情報提供・解説です。数値・固有名詞は執筆時点(2026年7月17日)で確認できた情報にもとづくもので、状況は今後変わり得ます。

「世界で最も株式オプションが取引されている国はどこ?」──答えは米国ではなく、インドです。

2026年7月10日、元ヘッジファンドマネージャーのマーク・ルビンスタイン氏が金融ニュースレター「Net Interest」で、インドの国立証券取引所(NSE)を取り上げました。タイトルは「Options for Everyone(みんなのオプション)」。そこで描かれるのは、契約数ベースで世界の株式デリバティブの過半をたった1つの取引所が握り、しかも株式デリバティブを取引する個人の9割が損をしているという、他のどの国にもない市場の姿です。

この記事では、①なぜインドで個人のオプション投機が爆発したのか、②「91%が負ける市場」で誰が勝っているのか、③規制当局とのせめぎ合いの中でIPO(新規上場)に向かうNSEをどう見るか、の3点を整理します。

まず、何が起きたの?

インドのNSE(National Stock Exchange of India)は、契約数ベースで世界の株式デリバティブ取引の51%を占めています(世界取引所連盟=WFEの統計にもとづく2026年3月期の数値)。株価指数オプションに限れば、世界の契約の約9割がNSEで取引されているとの集計もあります(WFEデータ)。インド国内では、株価指数オプションの72%、個別株オプションのほぼ100%のシェアを持ちます(Net Interest)。

そしてNSEの営業収益の約6割がオプション取引由来です(2026年3月期までの12か月・Net Interest)。ルビンスタイン氏はNSEを「世界で最も収益性の高い取引所でありながら、その主力商品は規制当局が減らしたがっているものだ」という趣旨で評しています。

そのNSEが今、約10年ごしの悲願であるIPOへ動き出しました。2026年6月17日に上場目論見書のドラフト(DRHP=価格などの条件が未確定の段階で提出する書類)を提出し、Net Interestによれば7月中旬から上場に向けた投資家向けマーケティングが始まる段階です。

📝 念のため:NSEのIPOは「準備が進んでいる」段階で、上場の時期・条件は確定していません。また後述するJane Street事案は係争中で、SEBIの主張に対して同社が争っています。確定した事実と、当局の主張・観測は本文で区別して書きます。

世界の株式デリバティブ取引に占めるNSEのシェア(契約数ベース)
世界の株式デリバティブ契約数に占めるNSEのシェア 51% NSE(インド)
NSE(インド)51%  世界のその他すべての取引所 49%  出典:WFE統計(2026年3月期・契約数ベース、Net Interest経由)。契約数ベースの比較であり、金額ベースでは順位が変わる点に注意。

NSEって何者?──「世界で最も稼げる取引所」

NSEは1992年に設立されたインド最大の証券取引所で、株式の現物取引でも世界有数の規模ですが、その本当の顔は世界最大のデリバティブ取引所です(米FIA統計で数年連続の世界一)。

重要なポイントとして、NSE自身はまだ未上場です。つまり日本の個人投資家がNSEの株を買う手段は現時点でありません。そもそもインドの個別株を日本の証券会社から直接売買する手段はごく限られており、投資信託やETFなど間接的な方法が現実的です。この点はインド株投資の入門記事で詳しく解説しています。

取引所というビジネスは、売買が成立するたびに手数料が入る「市場のインフラ」です。装置産業のように見えて、実際にはネットワーク効果(買い手と売り手が集まる場所にさらに人が集まる)で守られた、利益率の高いビジネスモデルです。この「取引所の堀」については、米CMEを扱った前回の記事で詳しく書きました。NSEはその極端な成功例で、営業収益の約6割を個人に人気のオプション取引が生み出しています。

なぜインドで個人のオプション投機が爆発したのか

NSEの登録ユニーク投資家数は、5年で3,990万から1億2,910万へと3倍以上に増えました(Net Interest・2026年7月時点)。オプション取引の規模は過去10年、年率47.5%という驚異的なペースで拡大してきました(Net Interest)。

NSEの登録ユニーク投資家数の推移 3,990万 1億2,910万 5年前(2021年ごろ) 2026年7月時点 単位:登録ユニーク投資家数(NSE)
出典:Net Interest「Options for Everyone」(2026年7月10日)。口座数の増加はインドの資産形成層の拡大を示す一方、後述のとおりデリバティブ取引での個人の損失も並行して拡大しており、増加=もうかっている人の増加ではない点に注意。

なぜここまで過熱したのでしょうか。Net Interestが挙げるのは、空売りが難しいインド市場でレバレッジをかける手段としてオプションが機能したという構造です。加えて、規制強化前のインドでは主要指数の週次オプションの満期が事実上ほぼ毎日どこかで訪れ、少額で「今日中に何倍にもなるかもしれない」宝くじ的な取引ができました。SEBI自身が「満期日の超短期売買は資本形成に寄与しない投機だ」と指摘しています(2024年10月の規制強化の理由説明)。スマホ証券アプリの普及が取引の入口を大きく広げたとみられる点は、米国のロビンフッド現象とよく似ています。

その結果、インドの株価指数オプション取引に占める個人の比率は6年で2%から41%へ跳ね上がりました(SEBI・2024年9月公表の調査)。

過熱は「教育ビジネス」にも波及しました。Net Interestによれば、著名なトレード講師アバドゥット・サテ氏は約7万2,000ルピー(約750ドル)の看板講座などで10年間に40万人超の受講者を集め、累計約6,300万ドルの受講料を得ましたが、2025年12月、SEBIは同氏に対し「無登録で個別銘柄の推奨を行った」として市場からの排除を命じる暫定命令を出しました(暫定的な措置であり、最終的な処分は確定していません)。

91%が負ける市場で、誰が勝っているのか

ここからがこの市場の核心です。SEBIが2025年7月に公表した調査によると、2025年3月期(FY25)に株式デリバティブ(先物・オプション)を取引した個人の91%が損失を出しました。調査対象(上位13ブローカーの顧客ベース)の個人トレーダーは約960万人、純損失の合計は約1兆560億ルピー(Net Interestの換算で約110億ドル)にのぼります。前年度の約7,480億ルピーから1年で4割以上も損失が拡大しています。1人あたりの平均損失は約11万ルピーで、Net Interestは直近4年の累計損失を約300億ドルと見積もっています(換算レートにより振れる概算です)。

インドの個人トレーダーの株式デリバティブ純損失(年度別) 約7,480億ルピー 約1兆560億ルピー FY24(2024年3月期) FY25(2025年3月期) 単位:個人トレーダーの純損失合計(SEBI調査)
出典:SEBI「個人トレーダーの株式デリバティブ損益に関する調査」(2025年7月公表・上位13ブローカーの顧客ベース)、Business Standard報道。FY25の約1兆560億ルピーはNet Interestの換算で約110億ドル。損失は取引の結果であり、特定の商品や市場の優劣を断定するものではありません。

デリバティブの取引損益は、大づかみにはゼロサム(誰かの損失は誰かの利益)です。厳密には手数料や税金の分だけ参加者全体では持ち出しになり、またヘッジ(保険)目的の参加者は損益だけで取引の価値を測れませんが、それでも「個人が失ったお金の反対側に、利益を得た誰かがいる」という大枠は変わりません。では、その相手は誰だったのでしょうか。

手がかりになるのがSEBIの2024年9月調査(FY24分)です。顧客の資金ではなく自己資金で売買するプロップトレーディング会社が総利益約3,300億ルピー、海外機関投資家(FPI)が約2,800億ルピーを上げていました(いずれも取引コスト控除前の総利益で、個人の純損失とは年度も集計基準も異なります)。しかも、プロップの利益の96%、FPIの利益の97%はアルゴリズム取引によるものでした。SEBIの統計が示唆するのは、コストと技術で勝る側に利益が集中しやすいという、この市場の非対称性です。

個人トレーダー約960万人──FY25の純損失は合計約1兆560億ルピー
プロップ取引会社FY24総利益 約3,300億ルピー。96%がアルゴ取引由来
海外機関投資家FY24総利益 約2,800億ルピー。97%がアルゴ取引由来
取引所・証券会社勝敗に関係なく取引手数料が入る「市場インフラ」側
政府証券取引税(STT)。取引が増えるほど税収も増える
個人の損失の対価として利益を得た主体(SEBI・FY24調査)と、取引量そのものから収益を得る主体の模式図。プロップ・海外勢の数値は取引コスト控除前の総利益で、個人の純損失と単純比較はできません。

この構図を象徴する事件として、2025年7月3日にSEBIが米系プロップトレーディング大手Jane Streetに出した暫定命令があります。SEBIは同社が満期日に銀行株指数の値動きを操作したとの暫定的な認定(プライマファシエ=一応の心証)を示し、不当利得とみなした約484億ルピー(当時の報道で約5.7億ドル)のエスクロー口座への預託と、インド市場からの一時排除を命じました。同社が預託に応じたことで取引制限は条件付きで解除されましたが、同社は命令を不服として証券審判所(SAT)で争っており、審理は2026年に入っても続いています。暫定命令は最終的な違反認定ではなく、執筆時点で法的な決着はついていません。あくまでSEBIの主張と同社の反論が係争中である点に注意が必要です。

そして忘れてはいけないのが、勝敗に関係なく収益を得る「胴元」側です。取引所(NSE)とブローカーには手数料が、政府には証券取引税が入ります。NSEの収益の約6割がオプション由来という事実は、この構図の上に成り立っています。

規制強化とIPOのジレンマ──「取引所の堀」の弱点

前述のCMEの記事で見たとおり、取引所ビジネスの堀(ネットワーク効果と事実上の独占)は非常に強固です。NSEも例外ではありません。ただしインドのケースは、その堀の内側にある収益源そのものを、規制当局が「減らすべきもの」と考えているという固有のねじれを抱えています。

SEBIは2024年10月、個人保護を目的に6項目の規制強化を発表しました。主な内容は次のとおりです。

施策内容
ロットサイズ引き上げ指数デリバティブの最低契約金額を50万〜100万ルピーから150万〜200万ルピーへ(9年ぶりの改定で約2〜3倍)
週次満期の削減週次オプションを取引所ごとに主要1指数のみに限定(2024年11月20日から)
プレミアム前払いオプション買いの代金を事前徴収し、過剰なレバレッジを抑制
満期日の追加証拠金満期日の売り建てに2%の追加証拠金(ELM)を上乗せ
証拠金優遇の廃止満期日のカレンダースプレッドの証拠金優遇を廃止
日中監視の強化ポジション上限を日中も監視

※ロットサイズの「最低契約金額」は契約価値(想定元本)の下限のことで、取引時に実際へ必要となる資金(証拠金やオプション料)とは異なります。

規制導入後の変化は数字に表れています。株式デリバティブを取引するアクティブな個人は、FY25の第1四半期の614万人から第4四半期には427万人へと約3割減少しました(SEBI調査。相場環境など規制以外の要因の影響も含まれ得ます)。個人保護の観点では前進ですが、取引量に依存するNSEの収益にとっては逆風です。

このせめぎ合いの歴史を、NSEのIPOの経緯と重ねると見通しがよくなります。

時期出来事
2015〜16年一部業者にサーバー接続で優遇を与えたとされる「コロケーション問題」が浮上
2016年12月NSEが最初の上場申請。その後、コロケーション問題などで停滞
2024年10月SEBIが個人保護の6項目規制を発表(11月から順次適用)
2025年6月NSEがコロケーション問題等の和解をSEBIに申請(約139億ルピー)
2025年7月SEBIがJane Streetに暫定命令(係争中)
2026年3月和解金額を約149億ルピーに増額して再申請
2026年6月17日NSEが上場目論見書ドラフト(DRHP)を提出
2026年7月Net Interestによれば上場に向けたマーケティング開始の段階

つまりNSEのIPOは、規制当局SEBIとの10年がかりの関係修復の到達点でもあります。取引所の株主になるということは、この「当局との距離感」というリスクごと引き受けることを意味します。米国の取引所にも規制リスクはありますが、収益の6割を占める商品を当局が積極的に絞りにきているNSEのケースは、その濃度が違います。

投資家として、どう読む?

NSEのIPOと「インドのオプション熱」を、日本の個人投資家はどう見ればよいでしょうか。強気・慎重の両方の観点を並べます。

強気側の観点

  • 登録投資家1億2,910万人という規模と、いまだ低いインドの金融サービス浸透率を考えると、取引所は長期の成長ストーリーの中心にいる
  • 世界最高水準の収益性を持つ取引所が公開市場に出てくること自体が、インド資本市場の成熟の象徴になり得る
  • 規制強化後も市場が機能し続けており、健全化はむしろ長期の信頼につながるという見方もできる

慎重側の観点

  • 収益の約6割が、規制当局が抑制したい商品に依存している。規制が続けば収益構造の転換を迫られる
  • 個人の損失(FY25で約110億ドル規模)は社会問題化しており、追加の規制や課税強化が今後も検討される可能性が意識されやすい
  • コロケーション問題の和解は最高裁の手続きなども残るとされ、法的な不確実性が完全には消えていない
  • そもそもNSEは未上場で、日本の個人が現時点で買う手段はありません。インドの個別株を直接買う手段も乏しいため、関心があっても投資信託・ETFなど間接的な方法が現実的です(詳しくはインド株の入門記事へ)

そしてもう1つ、この話は日本の読者にとって他人事ではありません。オプションは本来、保有資産の値下がりに備えるヘッジ(保険)などの正当な機能を持つ道具で、インドで問題になったのは道具そのものというより、短期の値動きに賭ける使われ方への偏りでした。日本でもオプション取引信用取引は個人がスマホで手軽に使える時代です。「91%が損」というSEBIの統計は、オプションという商品が悪だという意味ではなく、短期の値動きに賭ける土俵では、コストとスピードで勝る側が構造的に有利になりやすいという、市場の性質を示唆しています。

フクリの見方

  • 「世界最大のオプション市場はインド」という事実は、成長の熱気と投機の過熱が同じコインの裏表であることを教えてくれます。インド株の成長ストーリーを追うなら、この影の側面もセットで見ておきたいところです。
  • 取引所は「カジノの胴元」ではなく市場のインフラですが、収益の多くを個人参加の大きいオプション取引が占める構造は、規制という形の調整圧力を受けやすくなります。ビジネスの堀の強さと、堀の中の商品の持続可能性は別物です。
  • 短期売買の土俵では、コストや技術の非対称性が個人に不利へ働きやすいことをインドの統計は示唆しています。私は、値動きに賭けるのではなく、時間を味方につける長期・分散の側に立ち続けたいと思います。

まとめ(3行)

  • インドのNSEは契約数ベースで世界の株式デリバティブの51%を占め、営業収益の約6割がオプション由来。登録投資家は5年で3,990万から1億2,910万へ急増した
  • SEBIの調査では株式デリバティブを取引した個人の91%が損失を出し、FY25の純損失は約1兆560億ルピー(約110億ドル)。一方でFY24には、プロップ取引会社と海外機関投資家がアルゴリズム取引を中心に大きな総利益を上げていた
  • SEBIは2024年から規制強化に動き、アクティブな個人は約3割減少。その最中にNSEは10年ごしのIPOへ前進しており、「規制当局との関係」が取引所ビジネス最大の固有リスクとして浮かび上がる

情報源

免責事項

本記事は情報提供を目的としたものであり、特定の金融商品の投資勧誘や投資助言を行うものではありません。投資にともなう最終的な判断は、ご自身の責任で行ってください。記載内容の正確性には努めていますが、その完全性・将来の結果を保証するものではありません。

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